ロマン主義とは?代表的な画家や作品も紹介【5分でわかる美術用語】

※当サイトは商品プロモーションを含む場合があります。

  • ロマン主義について簡単に知りたい
  • ロマン主義が登場した背景が知りたい
  • ロマン主義の代表的な画家を知りたい

上記のようなお悩みについてお答えします。

美術史には「~主義」という用語がよく登場しますが、そのなかに「ロマン主義」というものがあります。

ロマン主義は、少し前の潮流であった新古典主義と対立関係に発展します。

そこで今回は、ロマン主義についてわかりやすく解説します。

この記事を読むことでロマン主義の理解が深まり、アートをより一層楽しめるようになります。

目次

ロマン主義とは

ロマン主義とは、18世紀末から19世紀初頭にかけて西欧を中心に起きた芸術運動です。

個人の感性や感情を自由に表現しようとするもので、文学から始まり、絵画・音楽・演劇などの各分野に波及しました。

ロマン主義を語るうえで欠かせないのが、当時の潮流であった新古典主義です。

新古典主義はそれまでの装飾的な芸術様式から古典に回帰することを掲げ、主題や形式、写実性を重要視していました。

しかし、ナポレオンの失脚と共に新古典主義も衰退していき、入れ替わるように登場したのがロマン主義です。

現実に起きた事件などをドラマティックに表現するロマン主義は、新古典主義と真逆の思想といえます。

新古典主義についてはこちらの記事で詳しくまとめています。

ロマン主義の語源

ロマン主義の「ロマン」とは、現在の我々が思い描くものとは少し異なります。

当時のローマ帝国の公用語には古典ラテン語が使われていました。

文語としては古典ラテン語が使われますが、庶民が日常的に使う口語とは異なり、理解が難しくなっていきます。

口語はロマンス語と呼ばれており、ロマンス語を使って書かれたものを「ロマンス」といいました。

庶民向けの理解しやすいロマンスは、古典に対立する概念として広がり、ロマン主義の語源となっています。

ロマン主義と新古典主義の対立

新古典主義は衰退していきましたが、完全に廃れたわけではありませんでした。

形式や主題、写実性に重きを置く新古典主義と、個人の感情を自由に表現するロマン主義は相容れない存在です。

メデューズ号の筏(1819年)
テオドール・ジェリコー, Public domain, via Wikimedia Commons

ロマン主義の起点となったのは、実際の難破事件を描いたテオドール・ジェリコーの「メデューズ号の筏」です。

神話や歴史などを主題にするのが当然だったところに、今起きていることを描いたジェリコーの作品は展覧会で賛否を巻き起こしました。

民衆を導く自由の女神(1830年)
ウジェーヌ・ドラクロワ, Public domain, via Wikimedia Commons

1830年に発表された、フランス7月革命を主題にしたウジェーヌ・ドラクロワの傑作「民衆を導く自由の女神」が政府の買い上げになり、ロマン主義を確立するものとなりました。

そんなドラクロワの活躍をおもしろく思わなかったのが、新古典主義を指導する立場であったドミニク・アングルです。

アングルは王立アカデミーの院長を務めるほどの巨匠で、若いドラクロワの台頭を認めず、アカデミーへの入会を拒み続けました。

ふたりの関係は風刺画になるほどで、当時の人々の注目度の高さが伺えます。

ロマン主義の代表的な画家や作品

ロマン主義の代表的な画家や作品を紹介します。

ウジェーヌ・ドラクロワ

キオス島での虐殺 (1824年)
Eugène Delacroix, Public domain, via Wikimedia Commons

ドラクロワは前述した「民衆を導く自由の女神」でも知られる、ロマン主義を代表するフランスの画家です。

ロマン主義の先駆的なテオドール・ジェリコーに師事し、大きな影響を受けています。

ジェリコーは32歳という若さで早世してしまい、深く悲しんだドラクロワは「メデューズ号の筏」に敬意を込めて、実際の事件を主題に「キオス島の虐殺」を描き上げました。

アルジェの女たち(1834年)
Eugène Delacroix, Public domain, via Wikimedia Commons

また、オリエンタリズムな「アルジェの女たち」は、後の印象派やピカソなどに影響を与えています。

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー

解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号(1838年)
JMW ターナー, Public domain, via Wikimedia Commons

ターナーは、後の印象派へ影響を与えるイギリスの画家です。

初期は写実的な風景画などを描いていましたが、イタリア旅行をきっかけに色彩を追求していきます。

黄色を多用し、光や空気感などを主眼に描写しているのが特徴です。

フランシスコ・デ・ゴヤ

プリンシペ・ピオの丘での虐殺(1814年)
Francisco de Goya, Public domain, via Wikimedia Commons

スペインの官邸画家として活躍していたゴヤですが、1792年、40歳のときに不治の病で聴力を失ってしまいます。

1807年、ナポレオン率いるフランス軍の侵攻により、スペイン独立戦争が起きます。

「プリンシペ・ピオの丘での虐殺」は、1808年にマドリード市民の暴動を鎮圧したフランス軍銃殺執行隊により、反乱者が銃殺刑に処された場面が描かれています。

この出来事に憤怒したゴヤは、数年後にスペイン国王が戻ってから2つの連作のひとつとして、本作を描き上げました。

まとめ

今回は、ロマン主義について紹介しました。

ロマン主義は、個人の感覚や感情を自由に表現しようとするものです。

それまでの古典的な抑圧から解放され、神話や宗教ではなく、今起きていることを扱いました。

その後、理想を追い求める情緒的なロマン主義への反動として「写実主義」が登場します。

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。

  • URLをコピーしました!
目次