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ウィーン分離派とは?代表的な作家や作品も紹介【5分でわかる美術用語】

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  • ウィーン分離派について簡単に知りたい
  • ウィーン分離派が登場した背景が知りたい
  • ウィーン分離派の代表的な作家を知りたい

上記のようなお悩みについてお答えします。

美術史にはさまざまな用語が登場しますが、そのなかに「ウィーン分離派」というものがあります。

ウィーン分離派と聞くと、ウィーンと別の地で活動したという感じもしますが、そういうわけではありません。

そこで今回は、ウィーン分離派についてわかりやすく解説します。

この記事を読むことでウィーン分離派の理解が深まり、アートをより一層楽しめるようになります。

目次

ウィーン分離派とは

ウィーン分離派とは、1897年に画家グスタフ・クリムトを中心にウィーンで結成された芸術家のグループです。

当時のウィーンでは、保守的な団体「クンストラーハウス」が支配的で、20代ですでに画家として名声を得ていたクリムトも所属していました。

1894年、新しい芸術表現を求めるクリムトのもとに、ウィーン大学大講堂の天井画の制作が依頼されます。

「医学」(1899-1907年)
グスタフ・クリムト, Public domain, via Wikimedia Commons

これまでの伝統的な芸術様式から外れた、「哲学」「医学」「法学」の3枚の天井画は大論争を巻き起こしました。

クリムトは契約を破棄し、クンストラーハウスと決別して、若き芸術家たちと新しい芸術様式を掲げる「ウィーン分離派」を結成します。

ウィーン分離派は、1898年からクリムトが脱退する1905年までに23回の展覧会を開催しました。

ウィーン分離派の特徴

ウィーン分離派の特徴は、古典や伝統などの歴史に影響されない新しい芸術様式を目指したことです。

実業家などの支援を得て、専用の展示施設「セセッション館(分離派会館)」を建設し、入口には「時代にはその時代の芸術を。芸術には自由を」と書かれたプレートを掲げました。

また、分離派は画家だけでなく、彫刻・建築・工芸などの作家のグループであり、総合芸術を志向していたのも特徴といえます。

しかし、商業化していく活動に対して、外部だけでなく分離派内部からも批判が起き、クリムト含む24名が脱退し、翌年にオーストリア芸術家連盟が結成されました。

ウィーン分離派の代表的な作家や作品

ウィーン分離派の代表的な作家を紹介します。

グスタフ・クリムト

「ユディトI」(1901年)
グスタフ・クリムト, Public domain, via Wikimedia Commons

ウィーン分離派の中心人物のクリムトは、若いうちから装飾家として活躍していました。

20代で皇帝賞を受賞し、30歳過ぎには早くもウィーン美術アカデミー教授への推薦を受けるなど、高い評価を得ています。

作風は甘美で官能的、愛や死をテーマに数多くの作品を描きました。

論争を巻き起こしたウィーン大学大講堂の3枚の天井画は、後のナチスに没収され、残念ながら焼失しています。

コロマン・モーザー

「洞窟の中のヴィーナス」(1915年)
コロマン・モーザー, Public domain, via Wikimedia Commons

コーロの愛称で親しまれた画家兼デザイナーです。

絵画だけでなく、インテリア、家具、本の装丁、ポスター、ファッションデザインなど、さまざまな分野で活躍しました。

オットー・ワーグナー

「カールスプラッツ駅」
トーマス・ウルフ、 www.foto-tw.de, CC BY-SA 3.0 DE, via Wikimedia Commons

ワーグナーは、ウィーン分離派の中心人物のひとりとして活躍した建築家です。

ウィーン美術アカデミーの教授にも就任しています。

歴史や伝統から離れ、アール・ヌーヴォー的な建築物など、近代建築を表現しました。

まとめ

今回は、ウィーン分離派について紹介しました。

クリムトを中心に保守的な芸術様式を脱し、新しい表現を目指しました。

この時代はウィーンだけでなく、ヨーロッパ全体で新しい芸術表現を求めてさまざまな運動が起きます。

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。

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この記事を書いた人

40代で会社を辞め、画家として活動しています。

主にアクリル絵の具を使い、独学で10年以上描いています。

年齢や経歴に関係なく「絵を描いて暮らしていきたい」という人に向けて、画家になるためのヒントや販売の仕組みなど、お役に立てる情報を発信します。

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