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退廃芸術とは?代表的な作家も紹介【5分でわかる美術用語】

- 退廃芸術について簡単に知りたい
- 退廃芸術が登場した背景が知りたい
- 退廃芸術の代表的な出来事を知りたい
上記のようなお悩みについてお答えします。
美術史には「退廃芸術」という用語があります。
ナチス・ドイツによって行われたものですが、詳しく知りたいという人もいるのではないでしょうか。
そこで今回は、退廃芸術についてわかりやすく解説します。
この記事を読むことで「退廃芸術」の理解が深まり、より一層アートを楽しめるようになります。
退廃芸術とは
退廃芸術とは、簡潔にいうとナチス・ドイツによる近代美術への弾圧といえます。
伝統的な美術観を良しとし、近代美術や前衛芸術は道徳的に堕落したものであり、社会や民族感情に害を与えるとして取り締まりました。
ナチス・ドイツは堕落したものと見なした作品を美術館から押収し、「退廃芸術展」を各地で開きます。
展覧会の目的は退廃芸術の有害性を国民へ広く知らしめ、プロパガンダとして利用するためでもありました。
押収された作品の一部は軍資金のために売却され、残ったものは見せしめに焼却されました。
近代芸術家たちは職を追われたりドイツ国外への亡命を余儀なくされたりなど、迫害の憂き目にあいました。
退廃芸術の特徴
ナチス・ドイツはドイツ民族の純粋性を重んじ、写実主義などの伝統的な美術を賛美しました。
伝統的な表現から逸脱した抽象表現やダダイズムなどの近代美術を退廃芸術と見なし弾圧しました。
また、近代芸術家たちはユダヤ人などがつくる有害なものという人種差別的な意味合いも内包しています。
退廃芸術家の対象とされたなかには、ピカソなど当時から名の知れた芸術家も迫害されました。
退廃芸術展にて近代芸術家に反感を抱いた国民に向けて、正しい芸術観として見せたのが「大ドイツ芸術展」です。
大ドイツ芸術展は古典主義的な芸術作品を展覧し、退廃芸術展と表裏一体のものとして捉えられるでしょう。
退廃芸術の代表的な作家
退廃芸術に関連した代表的な作家を紹介します。
ワシリー・カンディンスキー

カンディンスキーは、ロシア出身の画家・美術家です。
抽象絵画の創始者ともいわれ、ドイツやフランスで活躍しました。
ドイツにて美術の総合的な教育を行っていたバウハウスで教鞭をとっていたが、ナチス・ドイツによってバウハウス自体が閉鎖に追い込まれました。
フランスに移住するもドイツの占領下となり、作品の展示を禁じられるなど不遇のまま生涯を閉じた。
パウル・クレー

クレーはスイスで生まれ、ドイツで活躍した画家です。
音楽の素養を持ち、抽象表現・シュルレアリスムに大きな影響を与えた画家のひとりです。
ナチス・ドイツに退廃芸術家とされたクレーは教員の職を追われ、スイスへの亡命を余儀なくされました。
ドイツ国内の銀行口座の凍結や作品の押収などを受け、経済的な困窮や健康を害しながらも制作を続けました。
マックス・ベックマン

ベックマンは、ドイツ生まれの画家です。
表現主義の作品を描いていたため、退廃芸術とみなされ美術学校の職を追われました。
ドイツ国内の非難から逃れるようにアムステルダムへ移ります。
1947年頃アメリカに移住し、ニューヨークなどで活動しました。
まとめ|退廃芸術はナチス・ドイツによる美術弾圧
今回は、退廃芸術について紹介しました。
退廃芸術の運動によって約1万6000点の芸術作品が没収されたといわれています。
売却されたものはまだ残っていますが、焼却された作品も数多くあります。
なかには迫害によって命を落とした芸術家もおり、美術史に残る悲劇ともいえるでしょう。
最後まで読んでいただきましてありがとうございます。
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