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名画「モナリザ」ってなにがすごいの?【5分でわかる美術用語】
- モナリザについて簡単に知りたい
- モナリザのモデルは誰なのか知りたい
- モナリザのなにがすごいのか知りたい
上記のようなお悩みについてお答えします。
世界一有名な女性といえば、かの有名な絵画「モナリザ」ではないでしょうか。
1500年代にレオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれ、現在も人々を魅了しています。
しかし、他の絵画に比べて「モナリザ」はなにがそれほどすごいのでしょうか。
そこで今回は、名画「モナリザ」についてわかりやすく解説します。
この記事を読むことで「モナリザ」の理解が深まり、アートをより一層楽しめるようになります。
「モナリザ」とは
「モナリザ」は、イタリアの才人レオナルド・ダ・ヴィンチによって制作された絵画です。
1503年頃に着手し、数年の歳月をかけて描かれたとされていますが、死の間際まで手を加えていた未完成の絵ともいわれています。
「モナリザ」のモデルは諸説あり、文献などからフィレンチェの絹商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻である「リザ・デル・ジョコンド」だという説が有力視されています。
しかし、「モナリザ」はフランチェスコの手に渡ることはなく、1516年にフランス王のフランソワ1世に招かれた際も持参し、加筆し続けていました。
そもそもレオナルドは遅筆で、納期を過ぎることが多かったそうです。
完璧を目指すあまり完成させることができなかった、と言い換えてもいいかもしれません。
皮肉なことに、そのような性格であったからこそ「モナリザ」は長い時間をかけて描き続けられ、素晴らしい作品になったともいえます。
1519年にレオナルドが死去すると、フランソワ1世が「モナリザ」を買い上げ、100年以上に渡ってフォンテーヌブロー宮殿に所蔵されていました。
その後、ヴェルサイユ宮殿やナポレオン1世のもとなどを経て、現在はフランスの国有財産としてパリのルーブル美術館に所蔵されています。
なお、「モナ」はイタリア語で「私の貴婦人」を意味しており、レオナルド本人が「モナリザ」と名付けたわけではなく、後年つけられた呼称です。
「モナリザ」の鑑賞ポイント
16世紀のイタリアの画家・建築家ジョルジョ・ヴァザーリは、芸術家たちの伝記をまとめた「芸術家列伝」の作者としても知られています。
ヴァザーリは著書のなかでレオナルドをルネサンス期最大の画家とし、「モナリザ」を最高傑作と評しています。
「芸術家列伝」は現在でも美術史の基本資料となっており、レオナルドの美術的な評価をつくったともいえるでしょう。
こちらでは、「モナリザ」のなにがそれほどすごいのか鑑賞ポイントを紹介します。
表情にスフマート技法を用いている
レオナルドは、モナリザをスフマート技法を用いて描いています。
スフマートとは「煙がかった」という意味で、対象の輪郭線をはっきり描かず、透明な色彩を何層も塗り重ねてぼやかし、立体感を表現する技法です。
当時の絵画は輪郭線を描くことが一般的であり、スフマート技法はまったく新しい技術でした。
「モナリザ」の顔に注目してみると、筆致も残らない緻密なタッチで陰影がつけられていることがわかります。
印象的な柔らかい微笑みは、レオナルドの卓越した技術によって生み出されたものなのです。
空気遠近法を使って空想的な背景が描かれている
「モナリザ」の背景は空想的で、「空気遠近法」が使われています。
空気遠近法とは、対象物が遠くなるほど青みがかって輪郭がかすんで見えるといった原理を利用した技法です。
レオナルドは絵画に空気遠近法を用いた最初期の画家で、「モナリザ」の背景にこの技法を使いました。
画面の手前にある岩山は暖色系の色彩ではっきり描き、奥に行くにつれて青みがかった寒色系でぼかして描いているのがわかります。
こうした技法を用いることで奥行が感じられ、幻想的な風景が広がって見えるのです。
「モナリザ」盗難事件
「モナリザ」がこれほどまで人々に認知されるようになったのは、1911年8月に起きた盗難事件がきっかけです。
「モナリザ」をスケッチしようとルーブル美術館に訪れたフランスの画家ルイ・ベローが、展示場所に飾られていないことを指摘し、盗難が発覚します。
当時の秘書がルーブル美術館から小彫刻を窃盗していた関係で、フランスの詩人ギヨーム・アポルネールに容疑がかけられ、逮捕・投獄されてしまいます。
また、友人であったピカソも関与が疑われ警察に召喚されましたが、証拠不十分で両者とも釈放されました。
盗難事件から2年後、イタリア人のビンセンツォ・ペルージャが真犯人として逮捕されます。
ペルージャは愛国心を動機として、「モナリザ」をイタリアに取り戻したかったと語っています。
しかし、ペルージャは「モナリザ」を売却しようとして逮捕されており、「真作が失われることで複製画が高値で売れるようになる」と持ち掛けられたため、という説もあります。
発見された「モナリザ」はそのままイタリアを巡回し、1913年にルーブル美術館に返却されました。
なお、ペルージャはイタリアの裁判で愛国者との賞賛を受け、わずか6ヵ月間の収監で済んだそうです。
「モナリザ」に残された数々の謎
レオナルドの描いた「モナリザ」には多くの謎が残されています。
世界中でさまざまな考察や憶測が存在し、名画としての価値を高めているともいえます。
描かれているモデルは誰
もっとも大きな謎は、「モナリザ」のモデルは誰なのかということでしょう。
前述したとおり、近年ではフランチェスコ・デル・ジョコンドの妻のリザであるという説が有力とされていますが、専門家によってさまざまな人物が挙げられています。
パトロンであったジュリアーノ・デ・メディチの愛人「パチフィカ・ブランダーニ 」や、ミラノ公妃「イザベラ・ダラゴナ」、レオナルドの弟子や実母など、10名以上の名前が挙げられています。
なかには、レオナルドの自画像と表情が重なることから本人がモデルという説や、レオナルドが理想とする空想の女性という者もおり、現在も謎に包まれています。
微笑んでいる理由や左右の表情の違い
「モナリザ」といえば微笑みが特徴的ですが、当時の肖像画は威厳や美しさを描くものであり、無表情が一般的でした。
そのため、肖像画に微笑みを持ち込んだ理由が考察され、謎めいて語られます。
また、「モナリザ」は左右半分に分けて見ると異なる表情をしています。
左右の視線は別々のものを見ているように描かれ、どこから見ても目が合うように感じられます。
左目と右唇は通常の表情で描き、右目と左唇は微笑んでいるように描かれています。
リアリズムを追究していたレオナルドは解剖学にも精通しており、人体の構造について理解していました。
つまり、たまたま微笑んでいるように見えるわけではなく、女性を美しく魅惑的に描く方法として意図的に描いているのだと考えられています。
なお、眉毛とまつ毛は、修復を重ねたことによって消えてしまったといわれています。
もうひとつの「モナリザ」の存在
「モナリザ」には、弟子などが描いた複数の模写が存在します。
そうした模写のなかには、背景の両端に「モナリザ」には描かれていない柱が存在しているものもあります。
このことから、「モナリザ」の両端が切り取られているのではないかと調査が行われました。
調査の結果、切り落とされた痕跡は見られず、模写の際に描き加えられたものだろうと考えられています。
しかし、「モナリザ」にはレオナルド自身が描いた別のバーションが存在するともいわれています。
アイルワースのモナリザ
1913年にアートコレクターのヒュー・ブレイカーによって発見され、戦火を逃れてアメリカへ渡ったあと、長年スイスの銀行に保管されていました。
16世紀の画家ジョルジョ・ヴァザーリの書物には、「1503年に制作が開始されたモナリザは未完に終わった」という旨が記されています。
このことから、本作はルーブル美術館の「モナリザ」が制作される前に描かれた未完の真作であると主張しました。
また、同時代の画家ラファエロの模写には円柱が描かれており、本作にも円柱が描かれていることから真作とする説を補強しています。
2012年にスイスの美術財団法人が、35年に渡る調査の結果、レオナルドの真作であると結論づけましたが、現在のところ証明はされていません。
プラドのモナリザ
1666年にスペイン王室のコレクションに記録されており、現在はマドリードのプラド美術館に所蔵されています。
当初、背景が黒い絵の具で覆われていたため、外国の複製とされていましたが、除去作業を行うと「モナリザ」と酷似した背景が表れました。
赤外線などを用いた詳しい調査が行われ、ルーブル美術館の「モナリザ」と同様の修正や類似した絵具の構成などが発見されます。
その結果、模写や複製ではなく、レオナルドの工房で本人もしくは弟子によって制作されたものであることが判明しました。
本作は保管状態が非常に良く、ルーブル美術館の「モナリザ」よりもだいぶ若く見えます。
しかし、筆跡などからレオナルド本人が描いたかどうかは疑わしく、弟子が描いたものという説が有力と見られています。
まとめ
今回は、レオナルド・ダ・ヴィンチの名画「モナリザ」について紹介しました。
500年以上前に描かれた「モナリザ」には、卓越した技法や絵画としての完成度などの絵そのものの素晴らしさだけでなく、人々を惹きつけるドラマがあります。
数々の謎が世界中の人々を魅了し続け、希少性をさらに高めているといえるでしょう。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。
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